日本讀研的意義大不大?
日本版知乎Quora里也有這種提問,也就是“有必要讀大學院嗎?”,我用日語回答的原文和大家分享。也有其他在職大學老師們的回答。大家可以去參考。
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これは留學生にもよく疑問視されている質(zhì)問です。
建前と本音それぞれの意見もありかと思いますが、小生としては「あり」だと言いたいですね。しかし、學歴だけの話しならあんまり意味ない気もします。もちろん、公務員とか大學に殘りたい方にとっては其れなりに意味が大きいかもしれません。
現(xiàn)実話しで、修士博士稱號を獲得したとしても必ずしも就職に有利だとは言えないことは周知のことですが、それにしても一応修士だから博士だからとかで期待値は高くなるのも事実でしょう。せめて面接段階ではこういった期待というか気持ちは必ず働いていると思います。
「院卒で何ができるんだ」とか「大學院で何か學べるんだ」みたいな疑問も自然かもしれません。しかし、自分から見ると「結(jié)果」的に何ができるとかより、其の「過程」で自分から何を?qū)Wんだか、がポイントだと考えています。いきなり社會に出ると、正解の無い現(xiàn)実に戸惑う場合が多く、いくら博士論文を発表したってなかなか実社會の問題や課題に的確に活用できないことが殆どでしょう。つまり、すべてがゼロスタート、いや、遅れてのゼロスタートの感覚かもしれませんね。いろんな意味でなかなか上手くスタートを切れない場合も少なく無いと思います。職場環(huán)境や業(yè)務內(nèi)容にもよりますが、実務というのは「知識」、「経験」、「人間力」など総合的な「個人能力」が求められます。だから、知識+學歴という結(jié)果だけでは上手くいかない場合が多いかもしれません。
いろいろ話しがズレたかもしれませんが、要はこの知識、経験、人間力等いう部分を、如何に大學院研究過程でバランスよく身に付けるかがポイントだと言いたい。決して簡単にできるとは思えないので、敢えて厳しく言うと「すべてが自分次第だ」という結(jié)論、つまり「大學院に頼って得る」モノは少ないが、「大學院での研究過程を如何に充実したいか」自身に問いかけること自體に意味があると思います。
そんな曖昧なことなんて意味ない!と思う方も多いかもしれませんが、だからこそ「得した」と言える方も少ないことです、これが現(xiàn)実です。
自分の場合、大卒後すぐ就職し、「いろいろ感じた」ことから3年後は「もう一度學びたい」気持ちを抑え切れなかった、というか「実際に何を?qū)Wびたいか」もはっきり決まってもなかった。ただただ「初心」に戻りたい!という気持ちが大きたかったかも。だからか自分は「良くも悪くも」大學院のすべてが「自分の為」だと思っていました。
だからこそ何を?qū)Wんだのとか、何ができるようになったのとか言われてもビシッと言い返せる「アレ」も無いですが、一つだけは言えたいことがあって、「その後のモノコトへの考え」がより「豊かに」なった、ことです。
細かく解釈まではしたくは無いですが、ゼミの準備?発表、フィールド調(diào)査(インタビューなど)、研究室での人間関係などなどすべてに「意味がある」のです。其の意味への解釈は「君次第だ」ということ、に盡きると思います。

